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あれこれ

興味の湧いたことについて書きます。勉強しなきゃ・・・

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伊藤真という方の著書「憲法の力」の中に第三章そんなに九条を変えたいですか?として改憲論者の意見を5つにまとめてそれに関する意見を述べる形でわかりやすく改憲問題、軍隊を持つ意味についてまとめてあったのでそれに対して、反論疑問を上げる形で、私の考えを述べたいと思う。今回はとりあえず一番わかりやすかった2つを取り上げる。
 
1.「国民の生命や財産を守るためには、軍隊が必要だ。」への意見
太平洋戦争中の沖縄戦では、足手まといや、食糧不足の原因になるという理由で、日本軍によって住民が大量に殺害されました。野戦病院にも民間人は入れてもらえませんでした。
戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなるのである。(中略)沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである。(「歴史と視点―私の雑記帖―」新潮文庫)
 司馬の考えをまとめると、「軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。(中略)軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない」(「沖縄・先島への道 街道をゆく6」朝日新聞社刊)
自衛官出身の軍事専門家、潮匡人さんは「軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の『本来任務』ではないのです」(「常識としての軍事学」中公新書ラクレ)
それでは、軍隊が何を守るのでしょう。「国体、または日本の伝統文化」という答えがよく言われています。国民一人ひとりではなく、抽象的な「国」を守るというわけです。間違っても、外国が攻めてきたときに、私たち住民、国民を軍隊が守ってくれると考えてはいけません。
 外国が攻めてきたときに私たちの生命や財産を守ってもらうために軍隊が必要なんだという議論は、そもそも前提において「軍事の常識」から外れてしまっていて成り立たないのです。引用終わり
「国民の生命や財産を守るためには、軍隊が必要だ。」への意見に反論
この問題について伊藤さんの意見は事象を絞りすぎているように感じます。確かに「国民一人ひとり」を守るのは軍隊の仕事ではなく軍隊の本来任務は抽象的な「国」を守ることでしょう。しかしながら今現在私たちは、小中と義務教育を終え、高校を卒業して大学に通っています。また病気にかかったら、病院で診察を受けても三割の自己負担ですみ、家が火事になったら、消防車は来るし、事故にあったら救急車が来て病院に担ぎ込まれて治療を受けられ、生命・財産を脅かされそうになれば、法律が相手にその行為を禁じ、それでもだめなら警察が、犯人を捜し、捕まえてくれます。インターネットは規制されることなくどこにでもアクセスできるし、国の悪口を大声で騒ぎ立てても国によって逮捕されることはないし、自分で選挙権を行使し自身の代表を選ぶことができ、好きな政治家がいなければ自分で立候補することも出来る。
これらは私たちが日本国に住んでいるがゆえに得られた権利、特権です。つまり私たちは「警察や消防」をはじめとした「国」によって守られているのです。もし「国民一人ひとり」を守ってくれないからといって、軍隊をなくして、外国によって攻撃された場合これらの権利が一部、もしくは全てが制限されることがありえます。「抵抗しないで降伏すればいいじゃないか」と思うかもしれませんが、例えば中国に攻められ降伏し、奇跡的に中国本国と同じ扱いを受けたとしても大学にいけるのはごく少数、病院は一部の金持ちのもの、ネットは規制され、政治批判をすれば下手すると投獄されることもあります。このように考えると、軍隊が直接「国民一人ひとり」を守ることはなくても「国」を守ることによって間接的に「国民一人ひとり」を守っているといえるのではないでしょうか。
 
2.「攻められたときのために、軍隊を持っておくべきだ」への意見
外国から攻め込まれたときに、軍隊を持っていれば安全なのでしょうか。軍隊を持っていることによって、国民を守れるのでしょうか。
それは不可能です。アメリカは世界一の軍事力を持っていたのに、アメリカ国民の生命と財産は守れないということを、9・11同時多発テロが明らかにしました。イギリスも世界有数の軍隊を持っていながら、ロンドンをテロから守ることは出来ませんでした。つまり、現在の「テロとの闘い」といわれるような戦争では、軍隊を持っていたとしても攻められてしまったら同じなのです。
 特に日本は、入り組んだ海岸線に囲まれ、人口が密集し、新幹線が走り回り、多くの原子力発電所を抱えています。このような国が軍隊を持つことによってテロを含む攻撃から国民を守れると考えるほうが、よほど非現実的なことだと思います。
 北朝鮮が中距離弾道ミサイル「ノドン」を発射したら約七分で日本に着弾するため、「有効な対抗手段はない」と日本政府はいっています。つまり、攻撃されてしまったら、軍隊を持っていても同じなのです。中略
軍隊を持つことのメリットをあえてあげるとすれば、それは「先制攻撃が出来る」ということと「抑止力になる」ということかもしれません。
 先制攻撃は相当なリスクを伴います。いくら相手が攻撃のそぶりを見せてはいても、実際に攻撃してきていないのに、自ら先んじて攻めていくわけですから、その正当性はかなりあやしくなります。一歩間違うと、先制攻撃は侵略戦争となります。当然相手も反撃するでしょう。戦争が始まり、暴力の連鎖、憎しみの連鎖が始まります。以下略
では軍隊を抑止力として使うことはどうでしょうか。抑止力とは簡単に言えば、脅しです。「攻めてきてみろよ、もっとひどい目にあわせてやるからな」といって相手を脅し、攻撃させないようにするわけです。
 こうした脅しが効果を持つためには、相手よりも強い武器を持っていなければなりません。よって、相手が核を持っていれば、こちらも当然核を持たなければ、抑止力として意味がありません。
そして、万が一、本当にどこかの国から攻撃されたら、反撃しなければなりません。口先だけの軍事力では抑止力にはなりませんから、しっかりと反撃することになります。つまり、戦争が始まり暴力の連鎖が・・・中略
 そもそも、世界最大の軍事国家であるアメリカですら、軍事力による抑止力によってテロからの攻撃をかわすことができなかったのですから、合理的な判断をしないテロリストのような相手に対しては、軍隊の存在は抑止力として無意味なことがわかります。
 国民の生命と財産を守り、仮に被害が出たとしても、その被害を最小限にくい止めるのが国家の任務であると考えた場合、抑止力としての軍隊は合理性がありません。
 
「攻められたときのために、軍隊を持っておくべきだ」への意見
まず「テロとの闘い」がメインとしておかれていますが、これは伊藤さんが「抑止力」について語る中で述べたように「合理的な判断をしないテロリストのような相手に対しては、軍隊の存在は抑止力として無意味」でしょう。しかし問題は、合理的な判断をする国から攻められた場合です。真ん中あたりで北朝鮮に触れていますがこれが、合理的な判断をする国として挙げられるでしょう。北朝鮮は最近核実験、弾道ミサイルの発射実験などを続けざまに行い、それに対して国際世論が反発し、安保理が非難決議を出したり制裁を強化したりするごとに、「わが国に対する挑戦だ」とか「わが国に対する宣戦布告とみなす」とか言っていますが、実際に攻撃を仕掛けてくることはありません。なぜなら間違いなく自分が損をするからです。負けるのは明らかですからね。しかし、そんな北朝鮮も昔、1950年の今日6月25日に韓国へと侵攻しています。これは、当時ソ連、中国の支持を取り付け、韓国からはアメリカ軍は撤退しており、残された韓国軍は貧弱だったので、勝てると踏んだからです。実際北朝鮮軍は、韓国軍を釜山寸前まで追い詰めて朝鮮半島は統一寸前までいっています。この後アメリカ軍、国連軍が参戦し、統一は失敗しますが、勝てそうだったから攻めたのです。このことを考えると「抑止力」というものは有効だと思えると思います。また大戦後に起こった戦争としては、今あげた朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン紛争などがあげられると思いますが、どれも強い国が弱い国に攻撃したものです。ここから軍隊を持っていることが持っていないよりも攻められる危険性が小さくなるといえるのではないでしょうか。また、本文では「抑止力」について、相手よりも強い武器を持っていなければなりません。と書いていますが、そこまでの必要はありません。強大な破壊力を持つ核兵器の話を除けば、相手より強い兵器をもっているに越したことはありませんが、相手に「攻撃をためらわせる」ことが出来ればいいのです。攻撃することによるリスク、ダメージと攻撃することによって得られるリターンを計算したときにマイナスになる、つまり攻撃することが割に合わなければいいのです。わざわざ攻撃して損はしたくないでしょう。
順番が前後しましたが「先制攻撃」について少し。本文では「先制攻撃をする」ことの難しさを説いていますが、重要なのはそこじゃありません。「先制攻撃できる」ことが重要なのです。「先制攻撃できる」国を相手に攻撃する際は、「先制攻撃できない」国を攻撃するときより準備に手間と時間がかかります。そのリスクを背負わせることで、攻撃をためらわせればいいのです。
 一番最後に国民の生命と財産を守り、仮に被害が出たとしても、その被害を最小限にくい止めるのが国家の任務であると考えた場合、抑止力としての軍隊は合理性がありません。と書かれていますが、この考え方をしたとき、自らを守る軍隊を持たず、攻撃されて最初に国家がなくなってしまったら、この任務はどうなってしまうのでしょうか。
 

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